教育は難しい

街場の教育論

街場の教育論

相変わらずのウチダ節。面白い。と、最初の方はいつも通りさくさくと読み進めていたが、途中からどうも違和感が出てくる。なんだろうとよく考えると、この人、大学の先生でこの本は教育者が教育について語っているんだけど、どうも納得できない部分が途中から出てきた。例えば、知り合いの編集者にどういう基準で面接のときの合否を決めているのか訊いた件では
彼らが異口同音に言ったのは「会って五秒」で合格者は決まるということでした。受験者がドアを開けて入ってきて、椅子に座って、「こんにちは」と挨拶をしたくらいのところで、もう○がつく人には○がついている。・・(中略)・・でも会って「会って五秒」でどうして決められるんでしょう。そもそも何を見て決めているんでしょう。これが就活している学生には理解不能なんですね。でも、それはわかるんです。この人といっしょに仕事をしたときに、楽しく仕事ができるかどうか、それを判定基準にしてるから。
このくだりで思った事は、自分は今の会社に入社して6年目が始まったところだけど、自分の会社の面接官がこんな基準で採用していたらぞっとするね。いろいろな意見はあると思うけど、まず必要な人材というのは会社の利益に貢献できる人だと思うから、この出版社の人たちは、楽しく仕事をする事が会社の利益につながることだと考えているという事だと思う。もちろん楽しく仕事をするという事はすごく大事な事だと思うけど、楽しく仕事ができるかどうかなんて5秒でわかるかなあ・・。わっかんねえよなあ・・。というのが丸5年間会社で働いてきた感想です。一言で言えば、人間いろーーーんな人がいる。本当にちょっとやそっとじゃ理解できない人がいる。というか全ての人が簡単には理解できないというのが僕の印象だから。凄い嫌いで楽しく仕事できねえなあと思ってた奴が、何年かたつと一番仕事がやりやすい奴になってたりする。それが実感。
似たようなことで、ゼミの面接があります。私のゼミは八〇人くらいが面接を受けに来ます。受け入れ上限が十五名で、うちが第一志望ではない学生もいますから、面接の段階で、とりあえず二〇人くらいに○をつけて絞り込むことになる。どういう基準でそれをやるのか。こんなことがありました。面接は研究室でやるんですけれど、会議が延びて、開始時間に遅れてしまった。「ごめんね、遅くなって」と詫びてドアを開けようとしたら、「ちっ」と小さく舌打ちした学生がいた。これはもう瞬間的にペケですね。面接が始まる前にペケ。・・(中略)・・わかりますよね、私の基準。実際にゼミを始めたときに、ゼミの対話的、互恵的な雰囲気を壊すような学生ははなから採らないということです。
まず最初にこまかいことだけども・・、遅刻する人は僕は嫌いです。それから遅刻してきたのに逆にやや怒ってる人とかたまにいるんだけどそういう人はさらに嫌いです。僕は大学の理系出身で、その大学では、研究室はそれまでの3年間の成績が良い人から優先的に決めることが出来た。研究室の先生が面接するという事は無かった。当然だと思う。金払ってんだから。そもそも大学といえども教育機関なんだから生徒を選んじゃいかんだろ、というのが僕の正直な気持ちです。どんな学生でも受け入れてなんとか教育して上げてほしい。先生にはそうであってほしいと思っております。確かに協調性の無い人はむかつく事が多い。でもそういう人でもいいところあるよ。さっきも言ったけど、人って簡単に判断できないと思う(少なくとも僕は他人のことなんか全然わからない)。だからかなんとなく今回のウチダ節にはちょっと納得できないのでした。それから、楽しく仕事ができる人たちであふれ帰っていると思われる出版業界ってどういう状況なんでしょうか・・・全然知りませんけど。